スクーター旅行記
1958年7月19日、我々5名とジープ、スクーターなどを積み込んだ貨客船カンボジア号(35,000t)が神戸港第4突堤を出航し、暮れなずむ六甲山系を沖合いで見つめながら我々5名は思わず感激の涙を流したのであった。(1)(2)
最初の寄港地香港に上陸しその暑さとカラフルさと多様性に驚いた。(3)4)5)6) 次のマニラでは我々4等船客は上陸できず、その次のまだフランス領であったサイゴンでは美しい町並みと活気あふれる下町を見学。(7)8)
続いてシンガポール(9)では某教授にお父上のお墓の清掃を依頼されていて、比較的良く管理されている日本人墓地の中を探し出し約束を果たす。コロンボ、ボンベイと寄港し、大荒れのインド洋で船酔いに苦しんでから紅海の入り口フランス領ジプチに上陸(10)。室内より暑い熱風を防ぐ為に窓や戸を閉めておくことを実感する。(11)は帰途立ち寄ったジプチの対岸にある灼熱のアデンである。また、12)は船中で受け取ったもの。
紅海を抜けスエズ湾に入り続いてスエズ運河を通過する(13。)フト見ると向うの方から砂漠の真ん中を船が進んでくるではないか!?(14)実はこの部分は一方通行なのでした。(15)16)は帰途、船がポートサイドからスエズへ航行中にタクシーでカイロに立ち寄った時のもの。
炎暑の紅海を抜け風がひんやりと涼しい地中海に入り8月24日に無事マルセイユに入港する。通関や車両整備に少し手間取ったが26日に出発しコートダジュールの海岸線を走り(17)休暇で込み合っているキャンプ場にテントを張る。こういう所では人々が物見高いのとお人よしなのは世界共通であることを発見する。イタリアへ入国しゼノアのユースホステルで一泊し、翌29日初めての高速道路(オートストラーダ:有料はイタリアだけ)を走るが我らがシルバーピジョンは下り坂で100km/hを出すのが精一杯であった。ミラノを通りコモ湖畔で休憩中にイタリア製のスクーターが世界一だと思っている沢山の少年たちに取り囲まれ質問攻めに遭う(18)。
スイスに入りアルプス越えはサンゴットハルト峠(2114m)をウンウン登るがベルトドライブの変速装置が早くも焼きついてスローが利かなくなる。インターラーケンでは登山電車に乗ってユングフラウヨッホまで行く(19)。ベルン、ローザンヌ、チューリッヒなどを経てバーゼルからパリに向かう。(20)はフランス東南部の農園での昼食風景で、言葉は通じなくとも心は通じた一例である。
パリではとりあえずノートルダム寺院や、ルーブルなどの美術館を見て回ったが、ルーブルで「モナリザ」を見た後不覚にも居眠りをし、気付いたときは閉館時間で「ミロのヴィーナス」をかなたに見ながら引き返したのが残念でした。外務省からの紹介があって古い歴史のある下水道の見学をすることが出来た(21)。「岩窟王」のシーンを思い出しながら・・・
パリから1日で370km走行してベルギーのブルッセルで一泊。豊かで落ち着いた国家、町並みと言う印象である。次はオランダに入り牧場地帯を通ってアッペルシャーと言う田舎でテントを張って一泊する。翌日はドイツ国境を越えブレーメンの素晴らしいユースホステルに泊り、翌早朝出発してハンブルグへ。
ハンブルグではスカンジナビア三国をジープ一台で回るため、スクーターとか余分な荷物を領事館に預かってもらい、当地の大学で教鞭をとっておられる文学部の加藤教授や日本の先兵として駐在しておられる先輩の商社マン一家にお会いし、又、ジュネーブで一旦お別れしたシュツットガルト工科大学留学中の機械工学科の川井助教授と合流できた(22,23)。
9月20日、ハンブルグからジープ一台に六人が乗り込みコペンハーゲンに向かう途中でキール運河の下をトンネルを抜いている現場に出会い凄い事が出来るものかと感心する(24)
デンマークへ入る。オデンセでアンデルセンの家により、コペンハーゲンでは人魚姫の像を見る。活発だが落ち着いた雰囲気の街である。スエーデンに渡りエーテボリ経由でノルウエイに入り、オスロへ。道中は美しい森林や湖の連続であった。オスロは北緯60度、この旅行の最北地点でありオーロラを少し見ることが出来た。ヴァイキングの遺跡や古代の家、風俗博物館などを見る。次は半島を横断しストックホルムに行く。美しい街で真っ白な帆船のユースホステルに泊り大使館の方と交歓した(25)。
ハンブルグに戻り後半の旅行に備え車両の点検整備を行う。10月7日、ハノーバーから東独国境を越え一気にベルリンに入る(26)27)28)。ソ連兵とであったり、厳しい税関のチェックを受けたりする。日本人が日本製のスクーターで走ったのは勿論我々が最初である。西ベルリンは表面上は落ち着いたしかも華やかな雰囲気だが裏では凄まじい情報合戦があるという。爆撃の記念のモニュメントとして永久保存される教会の建物が目に付いた(29)。東ベルリンへは安全な観光バスでブランデンブルグ門を通って入る。ソ連軍の一番乗り戦車のデモンストレーションと(30)、裏通りは表通りとは対照的に戦争の傷跡が沢山残っていた。
ハノーバーに戻る。連合軍の爆撃で徹底的に破壊された街とは思えないほどに復興が著しい(31)。ここからは重工業地帯の街々を通りケルンに出る。ライン川に架かる新型橋梁の現場を見学し(32)古い橋や大聖堂を見物する(33)。ボンではベートーベンの生家を尋ね、お伽の国ルクセンブルグへも行き、ワイン用の葡萄の産地モーゼル川を下ってからライン川を遡る。フランクフルトで一泊し、マンハイムでもまだ見たことがない新型の橋梁を見学(34)、ハイデルブルグでは昔歌った歌を口ずさむ(35)。シュツットガルトでは河合先生の下宿を訪ね歓待を受け、ミュンヘンに向かう途中のウルムでは美しい教会堂を見学する(36)。
10月31日、ミュンヘン着。なんと言ってもビールの本場、ヒットラーも決起集会に使ったと言われている最大のビヤホールに行きジョッキにありつく(37)。大ホールがほぼ満席で老いも若きも、男も女もゆっくり飲みながら楽しそうである。ガルミッシュパルテンキルヘン経由で汽車に乗り換えてオーストリア・チロル地方の旧都インスブルックに行った(38)。チロル帽にチロル服の人々が行き交い、今にもヨーデルが聞こえて来るようであった。
モーツァルトの生誕地ザルツブルグのユースホステルではチェコスロバキアの女子高生達と一緒になったがいわゆる西洋人とは違う顔立ちで、中にはすごい美人がいた(39)。
11月5日、音楽の都ウィーンに入る(40,41)。古い大きな街、パリなどもそうであるが寺院とか宮殿などの街の中心から放射線状に街道が発達しているので、夜になって目当てのユースホステルを探すのに一筋間違えるとどんどんとんでもない方向へ行ってしまい苦労した。滞在期間が短かったが幸いなことにウィーンフィルの演奏会にもぐりこむことが出来、主力メンバーは日本へ演奏旅行に出かけた留守ではあったが素晴らしいホールで素晴らしい演奏を堪能できたのであった。
ウィーンからアルプスの東端の町々を通過してヴェニスへ向かうが、途中の峠では早くも降雪があ(42)、かろうじてアルプス越えが出来た。ヴェニスでは壮麗なサン・マルコ寺院(43)もさる事ながら、ゴンドラに乗ろうとしたところ、聞いていたのより高い値段を吹っかけてきたので訳の分らぬイタリア語で大騒ぎをして値切りに成功すると言う武勇伝もあった。
ヴェニスから古都ボローニャを経てアペニン山脈を越えると「花の都」フィレンツェである。「花の聖母大聖堂」(44)、ミケランジェロの「ダビデ像」(45)(レプリカ)、そして「ウフィッツィ美術館」にあるルネッサンスの名作の数々・・・後ろ髪を引かれる思いで出発し、12月18日、ローマに入る。古代から中世、近代までのいろいろな遺跡や建物などが渾然一体となって不思議な調和を保っている(46,47)。大使館にお願いし、建設中のオリンピック諸施設を見学できた(48)。
ローマからは海岸沿いに紀元前3世紀に出来たアウレリア街道(49)を北上し、ピサの斜塔に上がり、ゼノア経由でフランスに入る。交換部品がとっくに無くなり、ガタガタになってしまったスクーターのご機嫌を取りながらマルセイユに帰着した時には全走行距離は1万kmを突破していた(50,51)。
車や装備を点検して船積みし、出航までの間に汽車を利用してアルルやアヴィニョン(52)へ行き、12月1日に出航、翌1959年1月2日、全員元気に神戸港へ帰ってきたのでした。
画像を順次クリックしてください。

1)カンボジア号 |

2)いよいよ出発! |

3)香港市街 |

4)タイガーパームガーデン |

5)水上生活 |

6)高層アパート |

7)サイゴンの教会 |

8)サイゴン下町 |

9)シンガポール下町 |

10)炎暑のジプチ |

11)英領アデン |

12)兄貴の葉書 |

13)スエズ運河 |

14)砂漠を走る船 |

15)カイロ |

16)カイロ郊外 |

17)コートダジュール |

18)コモ湖畔 |

19)ユングフラウ |

20)フランスの田舎 |

21)パリの下水 |

22)ハンブルグにて |

23)岸本先輩宅
(日商) |

24)キール運河の
下を抜く |

29)西ベルリン |

30)東ベルリン |

31)復興著しい
ハノーバー |

32)ケルン
鋼床版斜張橋 |
33)ケルン |

34)マンハイム
PC床版橋 |

35)ハイデルベルグ |

36)ウルム
ロココ調教会 |

37)ミュンヘン |

38)インスブルック |

39)ザルツブルグ |

40)ウィーン |

41)ウィーンの
観覧車 |

42)セメリング峠 |

43)ベニス
サンマルコ |

44)フィレンツェ |

45)フィレンツェ2 |

46)サンピエトロ広場 |

47)フォロロマーノ |

48)ローマオリンピック
スタジアム |

49)アウレリア街道 |

50)マルセイユ |

51)マルセイユの
ユースホステル |
52)アヴィニョン |

25)ストックホルム |

26)ベルリンへの
アウトバーン |

27)ソ連兵と出会う |

28)ベルリン税関 |